teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


「サラバ、又会おうな」

 投稿者:寄川  投稿日:2017年 2月 9日(木)15時34分3秒
  50歳を迎えて待望の故郷福岡への異動となった。早速、転勤5ケ月後に柴犬雌メグ、同1年2ケ月後に娘達が近くの公園から拾ってきた雑種猫雄マオ、同1年半後にポメラニアン雄コロを飼い始めた。*詳細は、HP「我が家のペット事情」参照。
平成23年に、雄猫のマオが9年5ケ月で永眠した。死の間際に、柴犬雌のメグが今迄一度も発したことがない悲痛な叫び声を、家の中で聞いた。案の定、メグが良く面倒を見ていたマオが、親父の形見の30数鉢の盆栽等の一番奥まった木の台の下の見えない所で、虫の息だった。痛みを和らげるべく抱えて病院へ行ったが尽きた。
今月初め、メグが15年半の生涯を閉じた。死の前日の夕方、玄関の前で倒れていた。死去の当日の明け方に、別離に似た雄叫びが何度か床の中で聞こえた。日頃は喧嘩ばかりをしているコロが、ピクリともしないメグに寂しそうな声を出していた。一縷の望みを抱いて病院に運んだが駄目だった。
火葬後、骨壺を自転車の前台に乗せて、いつもは前台にコロ、後台に当メグを乗せて、メグのみを走らせたコースを辿った。先ずは、室見川中流、南端の散歩道が一度途絶える所迄行った。次に、二番目に良く尋ねた愛宕浜の西端岸壁迄向った。最後は、最も良く遊んだ百道浜の東端岸壁迄行って折り返した。百道浜の中程にある無料休憩室で一休みした。バルコニーのテーブルの上に、遺骨と柴犬雌メグと猫雄マオの*写真①を置いた。我が世界一愛する、中二迄生まれ育ち、中三迄毎日傍にあった博多湾、玄界灘を共に眺めた。その後、百道浜の展望台のある東屋のベンチに座り遺骨と写真を添わせて、博多湾、玄界灘を一望しながら、万感の思いを込めて最後の別れを告げた。「来世も又会おうな。一緒に又ゆっくりと博多湾、玄界灘を眺めような。有難う、良か想い出ばっかりたい。サラバ。」
写真)
①故猫雄マオと故柴犬雌メグのツーショット。
冬になると、マオがメグに寄り添って暖を取っていた。来世でも又、メグ、「色男、力と生活力 なかりけり」のマオの面倒と守ってくれよな。
②我が故郷博多貿易港大浜でメグとコロ
③二匹目の猫、チンチラ(ペルシャ猫)雌メイ、日本猫の1.5倍の身体と立派な腕っぷしのかなりのお転婆だ。
神棚に午前中は家族、夕方には小生がメグの弔いの祈りを捧げている時、いつもはじゃじゃ馬のメイが初めて見せる大人しく神妙な顔つきをしていた。
*メイの詳細は2013年10月25日付「生きとし生ける者」参照
 
 

「1月18日21回生迎春の集い」の前祝い

 投稿者:寄川  投稿日:2017年 1月16日(月)18時09分25秒
  1月11日1730「大名角打ち」に、同窓会三本柱の大浦・小西・服部、及び稲永・寄川が参集した。本来は1830集合だったのだが、服部君が天神での仕事を1700に終えたとのことで、急遽繰り上げさせられた。
平成19年11月13日、「神様・仏様・稲尾様」の稲尾和久さんがご逝去された折に、服部君が名言を吐いた。「鉄腕稲尾さんでも70歳で亡くなっとらっしゃーとに、我らはあと何年元気で生きとらるーかね。」と。
大名の角打ちで全国の名酒を味わいながら、服部君が同窓生のN君を見舞った事と、自己の手術を語ったので自然と健康の話題になった…。大浦君が高校時代の教科書「漢文」を持参した。先般、棚田君が中国より皆にメイルした漢詩に感銘を受けたと。在学中は、漢文を余り勉強せんやったばってん、今ひもといて詠んでいると改めて漢詩の奥深さに酔っとると。
その後、二次会は大名小跡地前のカラオケスナック「風子」に、家路を急ぐ服部君を送って四人で行った。フランク永井の上手な先客を、我ら70代前半と思った。何の何の80有余の満州からの引揚者で矍鑠たる紳士だった。我ら皆、異口同音に80過ぎてあげん無理やねと一致した。2000-2230、ソファーの座席の時計回りの順で、各自の人生観を以下の歌に託しちょった。
稲永君:「赤いハンカチ」「若者たち」「北国の春」「加藤隼戦闘隊」
小西嬢:「愛のままで」「つぐない」「珍島物語」「旅人よ」
大浦君:「女のみち」「そして神戸」「柿の木坂の家」「俵星玄蕃」
寄川君:「ヨイトマケの歌」「あぁ上野駅」「誰か故郷を思わざる」「無法松の一生」
歌の上手いへたいの天賦の才は別として、各者各様に60余年の風雪と想いを歌が物語っていた。正に、「歌は世につれ、世は歌につれ」だった。

写真)
あれから早や50年、一年生時の春合宿或いは夏休み暑稽古、打上げ後の写真。
疲労困憊で、小水するのに本当に痛くて焦げ茶色を呈していたのを、今でも鮮明に覚えている。
 

涌蓋山登ったよ

 投稿者:髙田  投稿日:2017年 1月 8日(日)23時41分36秒
  1月6日筋湯温泉から涌蓋山登山をしたよ。
師匠の行實君が道に迷うことはないとの助言を信じて登山を決心。
ちょっと用事を済ませ筋湯に着いたのが午後1時、宿の主人に聞くと「すぐそこだからごゆっくり」といとも簡単におっしゃる。急いで支度して少しピッチを早くして1時間も登り続けるとさすがにバテました。おまけに残雪と霜で足元が悪いところで3度もすべってしまった。
寒いのを予想していたら汗がたらたら、3時にやっと標高1,500mの山頂に到着、冬日和で素晴らしい見晴らしを暫し一人で楽しみ下山、4時半に筋湯に帰還。安宿の露天風呂に入りビールで喉を潤す心地よさでした。
写真は久住方面、右に九重スキー場、湯煙は地熱発電所、その下に筋湯温泉が小さく見える。
 

今年の忘年会は?

 投稿者:藤岡 良幸  投稿日:2016年11月30日(水)12時59分51秒
  昨年12月30日に行われた21回生有志忘年会には、直前に体調を崩し参加することができませんでした。今年は10月22日に第13回同窓会が開かれたので参加しましたが、昨年同様有志忘年会が予定されているのなら是非参加しようと思っています。情報があれば教えてください。  

第13回21回生同窓会の酒の事前手配について

 投稿者:寄川  投稿日:2016年10月27日(木)22時06分57秒
   大浦会長より日本酒一升瓶四本、焼酎720ml二本、紅・白ワイン各三本、ウイスキー一瓶を一組の大取君が経営する春吉「おおとり」で購入の命を受けた。日本酒は「無濾過純米大吟醸酒梵(福井)」「純米吟醸酒梵(同左)」「純米酒雪中梅(新潟)」「純米酒黒牛(和歌山)」、焼酎は「芋松露(宮崎)」「くず焼酎(朝倉)」、ウイスキーは「角瓶」を選んだ。ワインは大取君に2,000円相当で選んで貰った。
さすがに、皆さん各日本酒について鋭い寸評で舌がよう肥えとらっしゃー。最初に小生が注いで回った「無濾過純米大吟醸酒梵」が一番美味しいとの大半の感想だった。
二年に一回、こうして故郷の地を十二分に堪能して美酒佳肴を味わい、皆と健康長寿を祝福できることは実に有り難い事だ。深謝。
尚、大野・高鍋両君から「おおとり」の美酒を味わいたいとの事で、帰郷の折には皆で暖かく迎えよう。

写真)北京の中国人民大学語学留学派遣前、大連駐在期間の帰省の折には家族と寸暇を惜しんで故郷の香りを満喫した。
① 都督府古跡・観世音寺・太宰府天満宮巡り
② 春日公園
③ 芥屋海水浴場
④-⑥ 山海関にある万里の長城東端「老龍頭」、渤海湾へと連なる。
 

第13回21回生同窓会の酒の事前手配について -2

 投稿者:寄川  投稿日:2016年10月27日(木)22時05分8秒
 
 

記住郷愁(故郷を忘れずに)

 投稿者:寄川  投稿日:2016年 9月 1日(木)09時41分9秒
  10月22日(土)第13回21回生同窓会に想う。
スカパーを通しての中国中央電視台(CCTV)の人気番組”記住郷愁”は格調高い。山紫水明の辺境の地が主だ。当地で先祖代々から受け継いで来た道徳と教育を重視する思想を保守するとともに、青雲の志を抱いて故郷を長年離れても遠い故郷への変わらぬ矜持を物語る内容だ。当テーマ曲は以下の通り。
”記住郷愁(故郷を忘れずに)”
多少年的追尋       長年追い続けたことだろう
多少次的叩問       幾度も尋ねたことだろう
郷愁是一碗水       故郷への想いは一碗の水
郷愁是一杯酒       故郷への想いは一杯の酒
郷愁是一朶雲       故郷への想いは一片の雲
郷愁是一生情       故郷への想いは一生の情

遊子Ni可記得土地的芳香  故郷を離れた子供たちよ故郷の香りを憶えているか
Mama Ni可知足児和女心腸 母さんあなたに子供たちの想いが届いているだろうか
一碗水、一杯酒、一朶雲、一生情   一碗の水、一杯の酒、一片の雲、一生の情

夢里想思 夢里回     夢に追い 夢に帰る

胸懐)
俗諺に曰く「異郷、異国の地で最も癒されるのは、帰宅して自分の生まれ育った言葉で喋ること、即ち伴侶が同郷であること」とは、蓋し名言だ。東京、北京・大連の生活で小生の博多大浜弁と嫁さんの筑後弁、娘たちのチャンポンの訛は何物にも代えがたい慰労だった。
体力の衰えに抗し難い年になり、週末には中二迄生まれ育った博多貿易港大浜、週二回は中学三年間を過ごした百道浜で、国内外船・大海を眺望しながら一杯復一杯の至福の悦びを味わっている。世界一愛する博多湾・玄界灘を眺望する日々に満悦至極だ。

写真1)
故郷博多貿易港にて有能な番犬たちと。自宅は、ここから徒歩2,3分の所にあった。
写真2)
 中学三年間を過ごした百道の海にて同じく。現自宅は、ここから徒歩20分の所にある。
写真3)
 昭和63年~平成3年(1988~91年)の三年間を過ごした大連の自宅にて、娘たちのカラオケ「人生いろいろ」に合わせての一杯復一杯は最高の慰労だった。今は、91歳のお袋の健康長寿を祝して、家族との福博の美酒佳肴は格別だ。
 

本年2月8日春節に当たり、賀状を頂いた方及び21回生の皆様へ改めて「祝新年好、身体健康」

 投稿者:寄川  投稿日:2016年 2月 8日(月)22時16分19秒
  謹 賀 新 年
   平成二十八年元旦
「博多港の波の上 平和のかねがなりひびく 世界の友と睦まんと
 大福岡の玄関に 集う健児の意気高し」
(我が故郷博多貿易港、母校大浜小学校校歌*平成十年、歴史と伝統の博多四校大浜・奈良屋・御供所・冷泉が統合されて博多小学校として発足)
博多貿易港は、昔は内外貨物船と離島を結ぶ船が主体でした。昨今は上述に加えて釜山との定期船、中国からの大型旅客船、併せて大相撲九州場所、週末にはコンサートと各種催し等で中国人・韓国人、九州一円・山口から沢山の若人が参集しています。私は、毎週末、博多埠頭の食堂で寿司と魚汁を肴に銘酒を一杯復一杯にて、生まれ育った頃の「粗野」な体験から「華麗」な情景へと変貌する博多貿易港、博多湾・玄界灘を眺めながら至福の一時を過ごしています。
人生に後悔無しです。
本年も宜しくお願い申し上げます。

写真)春節、正月の三雪景
1 1989年(平成元年)2月春節前 瀋陽空港にて 小生は左端
毎年春節前に、瀋陽にある北方航空公司総経理(東北三省遼寧・吉林・黒竜江統括社長兼航空局 長)を表敬訪問。火鍋・酸辣湯…等の瀋陽のご馳走と、アルコール度数60度の白酒で20数杯の乾杯復乾杯…にて熱烈歓迎して貰った。
*昭和天皇のご崩御に接して、大連に集中する日本人は瀋陽総領事館に出向いて哀悼の意を捧げ奉った。
2 1990年(平成2年)元旦、二度目の正月を大連で迎える 自宅前で我が家族
3 平成13年(2001年)正月二日 飯盛山白虎隊士墓に詣でる 我が娘達
*慶応4年(1868年)8月23日白虎隊十九士飯盛山にて自刃(じじん)
「もののふの猛き心にくらぶれば数にもいらぬ我が身なからも」《中野竹子 会津娘子隊(じょうしたい)隊長、慶応4年8月24日討死》
「あすの夜はいづくの誰かながむらむ なれしみそらにのこす月かげ」《山本八重》
「会津の三泣きと言って、よそから来た人はまず、とっつきにくさに泣く、次に人情のよさに泣く、最後に離れがたくて泣く、と」
 

人生 これ多病息災也。故郷の酒飲みて日々充実に努めなん。

 投稿者:  投稿日:2016年 1月13日(水)14時31分51秒
  皆様へ
新年明けましておめでとうございます。
年頭に当たり我が1年
近況報告 妻に手を借りること日ごと多し
田や畑に作業に出掛けること日ごと少なし
病院回りは4か所、独立せし我が自尊心
ただただ波間に漂う浮草のごとし
人生これ多病息災也。苦しきことのみ多かりき。
故郷の酒飲みて日々充実に努めなん。
我に負けたる我はなし、我に勝ちたる我を創らん。

と思えどその日が来ることを知らん
限りある人生を只只明日治るを信じて生きて行かん。
 

記住郷愁(故郷を忘れずに) 新年の挨拶に代えて

 投稿者:寄川  投稿日:2015年12月28日(月)22時13分10秒
  中学二年生迄生まれ育った博多貿易港大浜は、内外の船舶・築港本線市内電車・国鉄貨物列車・自動車・自転車の汽笛・警笛の音、鋼材を運搬する荷車の馬のいななき等が交錯する活気に満ち溢れた町だった。
就寝時は汽笛の「ポーッポーッ」という音に物淋しくなり、起床時は「ボーッボーッ」「ポンポン」という音で一日の始まりの活力を貰った。
毎朝はリヤカーでおきゅうと、志賀島からの魚介類の行商、毎夕は豆腐売りの声も聞こえていた。
夏は「金魚ーえっ、金魚ー」・「竿や竿、竹や竹、竿竹ー」・両肩に乗せた風鈴売り、冬はチャルメラの音で屋台を引きながらの博多ラーメン・年末の注文餅つき・元旦の獅子舞…等は季節の風物詩だった。
言うまでもなく、どんたくは地元の女子衆、山笠は町の男衆と隣近所の付き合いの延長で参加していた。今は、参加者の90%以上が地元の住民ではないし映像を意識するようになった。山笠は授業を堂々と欠席と、貧しい時代に美味しい八女茶、おかき・饅頭等が食べられるのを楽しみに出ていた。
博多大浜っ子小学校高学年4年~6年生にとっての祭りは、博多山笠・8月末の大浜流灌頂よりも7月19日一学期修了式後の、博多四校(大浜・奈良屋・御供所・冷泉)相撲対抗戦だった。母校の名誉を担い山笠と同じ締め込みを巻いて町の中を「オイサッ、オイサッ」の掛け声で走り抜ける際に、隣近所の人達からの大きな声援と力水は闘志をかきたてた。会場の浜口公園は立錐の余地もない見物人で埋め尽くされた。
力自慢の沖仲士が昼休みにする相撲は正に迫力満点の格闘技だったし、間近に見られて大変勉強になった。
毎日の遊びは相撲・ソフトボール・海釣りの何れか、たまにはチャンバラごっこ・豆炭練炭の燃えカスでの戦争ごっこ・降雨後の石炭置場水溜りでの小さな筏遊び…。電車のレールの上で轢いた五寸釘とニクロム線で作った手裏剣、2B弾・水道管・五寸釘で手製の鉄砲、係留している舟で港内を漕いだり等、新聞の三面にも写真入りで大きく掲載された「危険な遊び」等でお袋親父が何度となくお詫びに行ったものだった。
自宅から歩いて十分圏内の街並みは、内国船・外国船が行交う港、博多織織元・販売元、博多染、石屋、竹細工、大浜饅頭、竪町商店街、博多芸者置屋、遊郭、黒田家御典医原三信、博多大丸、大博寿司・大博回転饅頭・大博座、寺町、市内電車築港本線石城町駅・幹線呉服町駅…活況を呈していたが、天神中央区への経済活動の集中により勢いが徐徐に削がれて行った。

博多大浜っ子の生き方「男は最後は力たい」「くちゃくちゃ言わんとやらんか」「一発殴られたら十発返してこんか」を旨として、小学時は小兵ながら潜って右下手を引いて足技で横綱を勝ち取ったが、中学時は体格差で柔道に挫折断念して高校から剣道に転換した。
小生にとって、美人の想い出の地は博多織が最適の凛凛とした故郷博多、背が高く手脚が長くヒップアップの中国大連、文教地区東京国立だ。博多のごりょんさんは商売・博多どんたく、博多山笠直会(なおらい)の料理の主役で、外では旦那をたてるが内では強い。「九州男児には一に佐賀、二に筑後」の俗言通りに、小生結局は穏やかで家を守る筑後を選んだ。
平成10年(1998年)4月1日、伝統の博多四校大浜・奈良屋・御供所・冷泉が統合されて博多小学校(奈良屋小跡地)として発足した。先立つての同年3月8日、母校大浜小の閉校式に東京から駆けつけて、締めの校歌「博多港の波の上 平和のかねが なりひびく 世界の友と睦まんと 大福岡の玄関に 集う健児の意気高し」を斉唱した時には万感の思いが込み上げてきた。
博多貿易港は、往時は国際貨物船と離島連絡船で活気を呈していたのが、昨今は国際旅客船と離島連絡船、新たに毎週末は九州各地・山口からのたくさんの若人が集まる定期コンサート、様々な催し等の華やかさへと大きく変貌して来ている。
今も、「力」と「活力」を貰いに故郷博多貿易港大浜を頻繁に訪れる。
青梅竹馬之友を呼び出して埠頭の芝の上で、内・外国船、博多湾を眺望しながら余生を味わう日本酒は、人生に悔いなしだ。来世も、人格形成期は博多貿易港及び百道の砂浜で過ごしたいものだ。
以上

住吉人参町出身の篠原君が、小生のHome Page掲示板への博多紀行既投稿の描写が物足りないとの批評に応えて記す。

参照)
「博多 旧町名歴史散歩」2014年2月1日西日本新聞社新刊 1,680円
*西日本新聞に長期に亘って連載されていたものを加筆編集。本来の旧博多を知る語り部が皆無の昨今、貴重な旧・新の写真も掲載されている歴史書だ。


写真)
① 博多美人 幼馴染 F高校校花 外国船埠頭育ち、小生は内国船埠頭育ち。
彼女が高校入学試験時に即結成された「親衛隊」のOG・OBの酒宴に二度呼ばれた。さすがバンカラのF高校風に違へず、皆さん強烈な個性の持ち主だった。
② 大連美人、写真右側 ミス外大英語学科三年の才女 大連の会社事務所にて我が家族と。
週に一回、事務所で小生に英語を、家で家族三人に中国語を教授してくれた。才気溢れる美女でいて、性格は悠然として優雅で素晴らしき女性だ。
③ 筑後の女
「来世も宜しくな」と言ったら、
「あなたみたいなワンマンはもう厭だ」と答えた。

追憶)
  一人はとっくに、又幼馴染の一世を風靡した創業百年の博多ごりょんさんも今年の盆に関東の地で鬼籍に入った。上述のF高校花も関東に完全に定住するので、11/1に仲間達と「故郷博多との永別の宴」を催した。
「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ ハナニアラシノタトヘモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ
井伏鱒二」

来世も、幼少・少年少女期を又博多貿易港で共に元気で過ごしましょう。
 

近況報告

 投稿者:藤岡 良幸  投稿日:2015年12月 2日(水)13時41分12秒
   21回生の皆さんお元気でしょうか?私は東筑紫短期大学に勤め始めて1年半が過ぎました。今年度は1年生の担任をしていますが、18~19歳の保育学科の学生(40名中、5名が男性ですが、あとの35名は女性です)を相手に、出席状況・生活態度等を把握したり、学業や生活状況等多岐にわたって指導・支援しています。2011年3月末に福岡県職員を定年退職し、本来ならば再任用で65歳まで県の事務所に勤めることもできたのですが、同年4月から福岡県立大学大学院(社会福祉専攻)に入学することが決まっていたため、社会福祉法人が運営する児童福祉施設に再就職し、毎週月曜日を公休としてもらい、3年かかって大学院を修了することになりました。県職員時代には、生活保護業務、児童養護施設、精神保健福祉センター、児童相談所、保健福祉業務等民生畑分野の仕事を約40年間にわたって続けてきたことから、この経験を学業の分野にも活かしたいと思い、短期大学ではありますが常勤講師として勤めることになりました。一応、2017年3月までの期限付きという制約はありますが、それ以降も継続することができるようなので、勤められるだけ勤めてみようか、と思っている次第です。それでも、一般の事業所であれば、年休の取得は比較的容易でしょうが、大学では授業が週4日入っているため、休むことは中々できません。一方で、夏休み、年末年始休暇、年度末の休みなど期間限定ではありますが、少し長めの休みが取れるため、その有効活用を考えているところです。今年の5月に皆さんと同様に満65歳に達し、高齢者の仲間入りをしました。介護保険法における第1号被保険者となり、介護サービスを使ってはいませんが高額の介護保険料を納めなければなりません。でも、今のところ、元気でやれていますし、往復60キロの自動車通勤も気になりません。趣味の合唱も、今年は6回ステージに立つ予定です(直近では11月29日に定期演奏会を添田のオークホールで行いました)。あとは12月6日の糸田町合唱祭があり、12月20日には今年最後のステージとなる「第9演奏会」を田川文化センターで行います。あっという間の1年でした。来年も申年にちなみ、軽やかにステップアップできるように頑張りたいものです。ところで、今年は、21回生の忘年会はあるのでしょうか?あれば教えてください。  

歌は世に連れ、世は歌に連れ(高一夏休みに抱いた野望とともに)

 投稿者:寄川  投稿日:2015年 8月17日(月)08時31分51秒
  -青春の蹉跌-
高校一年の夏休み、35歳迄に「日中友好商社」設立の野望を抱いた。①「関東の大学の経済学部X学科定員60名に入学」②「中国駐在員」③「中国と関わる女性を伴侶」の何れかが叶えれば実現させると。①は桜散り浪人したので、親父との約束に従い地元の大学に残る事になった。第一の課題を果たせなくて、「船頭小唄 枯れた真菰に照らしてる 潮来出島のお月さま わたしゃこれから利根川の船の船頭で暮らすのよ」を歌って鼓舞した。
 就職で関門海峡を越えて上京後は、九州男児・博多大浜っ子の矜持として「無法松の一生(度胸千両入り)」、望郷の念として「別れの一本杉」、人生の道標として「出世街道 他人に好かれて いい子になって 落ちて行くときゃ独りじゃないか おれの墓場は おいらがさがす そうだその気で ゆこうじゃないか」を常に口ずさみ肝に銘じて来た。

写真一) 21歳時「福岡日中友好協会正統派本部のメンバー達」 真ん前真ん中が小生
・大学は剣道部に籍を置いているだけの生活で、野望に向けて当組織を通しての日中国交回復運動、中国語講座に活路を見出していた。メンバーの一人20歳で社会人の女性とお互いに好感を抱いたが、いつも後ろからの視線を感じていた。まもなくして、彼女は同じメンバーで大学3年の背の高い優しい旦那が居る事が分かり、③の課題はお預けとなった。…来世は独身でお会いしましょう。

写真二)26歳時「東京都大田区蒲田地区(百万都市)の団体戦剣道大会にて、決勝で蒲田警察署に惜敗したものの会社剣道部は銀メダルを獲得する」
前列左(小生 中堅)、右(筑紫丘剣道部2年上の左田野先輩 次鋒)、後列左(葉隠古武士 師範)、左から四番目(肥後モッコス 副将)と、九州男児の面目躍如だ。

この頃も大学時代と同じく本業に熱心ではなくて、野望を叶うべく二年間「渋谷の松本亨英語学校」、その後は二年間「神田の日中学院 中国語」に通った。身体も鍛錬すべく剣道・軟式野球以外に、季節に合わせて葉山のヨットスクール・テニス・スキー・スケートにも積極的に取組んだ。

写真三)39歳時「大連の外国人指定居住地”桃源山荘”で アンディ家族(後列右から二人目)のハンガリー帰国に伴い中国人小学校学友達、日本人男の子二人(前列) 、アンディに遊んで貰っていた我が日本娘二人(アンディの前)の家族での送別会」
35歳~36歳 北京の中国人民大学へ一年間の語学留学派遣
37歳~40歳 大連駐在員
上述の体験が10年、少なくとも5年早まっていたら野望成就に邁進したのだが、岐路の35歳を越えては如何とも出来なかった。

写真四①)同上 戦前、名門大連一中、二中の対抗戦でスタンドを埋め尽くした旧大連球場にて
日本企業における最強のソフトボール・軟式野球チームを結成
*大連外語学院留学中の国体参加ソフトボールピッチャー前列左から二番目女性(富山?)剛速球助っ人を加入。
強力クリーナップ三番サード後列右端(鹿児島 ラグビー)、四番ライト前列右端(小生)、五番ショート後列真中(久留米 ラグビー)と、大連でも九州男児の面目躍如だ。
参考)
「日本一の野球とラグビー」
現在も行われている都市対抗野球の第一回・二回・三回の優勝は、それぞれに大連満州倶楽部、大連実業団、大連満州倶楽部。さらに第21回全国中学ラグビーで撫順中が秋田工を破り優勝。翌年も優勝。それ以前にも鞍山中が優勝。(戦後70周年写真集 満州 2015.8.13発行 別冊宝島より)

今は、天神西通りのカラオケスナックでママから「ヨイトマケの唄」を指名される日々だ。
因みに、大浦君の「元禄名槍譜 俵星玄蕃」は風雪を感じ中々味わいが有り、最高だ。


※写真は上から順に、一、二、三、四
 

歌は世に連れ、世は歌に連れ(高一夏休みに抱いた野望とともに)

 投稿者:寄川  投稿日:2015年 8月16日(日)17時00分6秒
  写真四  

桂米朝さんのご逝去に想ふ

 投稿者:寄川  投稿日:2015年 3月21日(土)11時30分15秒
  小生37~40歳、総務・営業・運送担当managerとして大連駐在時、会社が初めての海外落語講演・機内オーディオ録音として「桂米朝の落語・小松左京の講話」を大連で催すことになった。米朝さん側からの要望で中国漫才も加えた。香港と中国の合弁フラマホテルの大広間にて400名の無料先着応募順で、200名が現地の日本人駐在員と家族、100名が留学生・短期商用・残留等日本人、100名が日本語学習・関係者等中国人と予想して、小生は演目に中国雑技団も加えた。結果として大成功で終えたし、前日には米朝さん、小松左京さん、関係者等と事務所の有るホテルのバーでウィスキーを片手にお話を交わした…等の想い出が有る。それ以上に未だに鮮明に記憶に残っているのは、当日の催し時に初めてお会いした中国・大連に残らざるを得なかった、帰りたくても帰れなかった、一度も祖国の地を踏んでいない我が父母と同世代の十数名の日本人だった。皆さんは、まさに本国が失ってしまった「さくらさくら」の美しい日本語で直立不動にて、故国の繁栄を心から祝福されるととともに、日本人としての矜持を大事にされていた。併せて、日本の伝統文化落語を直接拝聴できて感謝された。強く固辞されたが、社用車・タクシーでお送りした。皆さんの背中を見送りながら、祖国日本に戻られることも無く、これが今生のお別れだと思うと涙滂沱して止まずだった。  

「私の軌跡、一病息災・多病息災」

 投稿者:  投稿日:2015年 1月12日(月)21時08分58秒
  今後の第2の人生感亦は人生観は、男と女、人それぞれ、人色々である。
その人の送りし人生の軌跡が、手となり
その人の交わりし朋の軌跡が、足となり
その人の暮らした地域の軌跡が、眼となり
そんな明日の私に成らん。
贅沢を言えば、自分が見える健全な身体と健全な精神が欲しい。
理性に溺れぬように、過信せぬように、そして見失わぬように。
欲望に溺れぬように、任せぬように。そして見失わぬように。
そんな明日の私に成らん。
「天にあれば、願わくば比翼の鳥に成らん。
地にあれば、願わくば連理の枝と成らん。」
そんな明日の夫婦で生きて行きたい・
 

新年好!  新年会の案内

 投稿者:寄川  投稿日:2015年 1月11日(日)19時16分3秒
  謹 賀 新 年
   平成二十七年元旦

現住処は五十歳時赴任後居を構えて本年で丸十四年に成ります。博多湾
百道(ももち)海水浴場が庭だった中学の学舎迄自転車で七分の距離に位置します。週に何度も百道浜と生まれ育った博多貿易港大浜間の博多湾に沿ったサイクリング小旅行を満喫しています。
 今年六十五歳を迎えるに当たり、当該以外の居住期間の長い順番に、故郷博多貿易港大浜十四年、東京横浜十四年、大野城市春日原(博多区に隣接する進駐軍ハウス)十一年、大阪五年半、北京大連四年、山口宇部二年二ヶ月、成田十ヶ月です。その土地特有の慣習、飲食、人情…等を大変勉強させて頂き、良き想い出の大きな財産と成っています。
これからも前向きに人生を送る所存です。
本年も宜しくお願い申し上げます。
                                  寄川
以上
賀状を貰った同窓生の方方並びに皆様に上述をもって新年の挨拶に代えさせて頂きます。元気な内、後何年? face-to-faceで度々会いましょう。

「新年会」の案内
◎1月15日(木)1830~
◎「おおとり」 一組大取君の春吉の店にて
◎博多らしく気楽に気儘に集まる。当日予約なしで来店可。
*家族・友達等同伴可
◎価格は低価格にて
*つまみ持込は禁止
◎「家族・故郷を愛し銘酒をこよなく愛して健康を祝する」を趣旨
◎酒豪代表稲永・関両君より含蓄ある酒・食の安全談義あり。大浦・小西会長参加。高田
編集委員長兼カメラマン等も参加。
 

夢の又夢

 投稿者:寄川  投稿日:2015年 1月 8日(木)21時23分50秒
  掲載の写真は中学仲間の建設中の邸宅だ。彼は大分前に映画館用の中古の大型スピーカー・オーディオセットを購入した。価格は国産の高級車が買える値段だ。当人の昔からの夢は、音響効果を最大限に楽しむこと。その為に、町の中では無理なので福岡市郊外の小高い丘の上で享受することになった。平屋造り89坪の邸宅のほとんどが大広間で居住空間はウナギの寝床と、正に教会そのものだ。でっかい見上げる柱・天井・床等は1930年代の米国の工場で使用していた木材で、塗料はドイツから輸入…設計図、材料調達等は本人に依る。基礎工事完成時、庭の桜満開下でのバーベキューパーティー以来、今年8月1日に当大邸宅で180度の博多湾玄界灘のパノラマを眺望し、大濠公園での花火を眼下に見下ろしながらの一杯復一杯を楽しみにしている。御年で、未だに夢を追い続けている信念と能力には敬服する。
翻って、小生は夢というか野心を、高1の夏休み剣道部夏季強化稽古後に図書館で描いた。35歳迄に日中友好商社(*国交回復前は中国の指定した友好商社のみ交易可能)を設立する。その為には、一関東の経済学部X学科定員60名に入学して貿易学を学ぶ 一商社で中国駐在員を務める 一中国関連の女性を伴侶とする、の三つの目標を立てた。高校時は「聊斎志異」「三国志」等を愛読した。大学時は中洲の交差点の一角にあった山田フルーツ天津甘栗店舗の二階事務所での中国語教室、日中国交回復運動福岡窓口に参加した。他方、夢の実現とは異なる大学の専門課程の法律は無味乾燥で、選択科目としての文学部「魯迅原文購読ゼミ」が唯一の楽しい時間だった。就職で東京に出て直ぐに、渋谷の「松本亨英語学校」で英語を二年間、神田の「日中学院」で中国語を二年間、渋谷の「中川ダンススクール」で社交ダンスを半年間学んだ。併せて、「経営学」「計数管理学」「統計学」「中小企業経営診断士」「税関士資格」…等の通信教育をパスした。体力維持増強の為にも剣道・軟式野球・テニス・ヨット等に積極的に励んだ。…結局30歳を前に、環境が整えられずに友好商社設立の夢を断念した。諦観後追っかける様に、35歳時北京の「中国人民大学」に一年間語学留学派遣、36歳時成田大連北京航空路線の開設認可、37歳から40歳の三年間大連駐在勤務を経た。10年早まっていたら人生は大きく変わったかも知れないが、自分の能力の無さ”力不従心”を嘆く他はなし。
今は日々、世界一大好きな生まれ育った博多湾を眺めながら、中日の若き才人佳人達との交誼を楽しんでいる。高1夏休み時に抱いた夢・野心の傍流、その又傍流の生き方になったが。

「敗残の夢を知らぬやつに人生がわかるか  尾崎士郎(人生劇場)」
「露と落ち露と消えにし我が身かな なにわの事も夢の又夢 豊臣秀吉」
「窓うつ嵐に 夢もやぶれ 遥けきかなたに 心まよう 恋しやふるさと なつかし父母…  犬童球渓(旅愁)」
「人は誰も ただ一人旅に出て 人は誰も ふるさとを振り返る…人は誰も 人生につまずいて 人は誰も 夢やぶれ振り返る  北山修/端田宣彦(風)」

大浦君は寺社仏閣の宮大工の棟梁”承先啓后” として、「人は一代 名は末代」の夢を追い続けているんだろうな。

添付写真)
音楽を心行くまで味わい楽しむ家
 

今年の忘年会について

 投稿者:藤岡 良幸  投稿日:2014年11月25日(火)16時50分5秒
   10月18日の21回生同窓会は、いつものことながら楽しかったですね。お互いに年はとったものの、それぞれに年齢相応の風格が出ており、昔の面影を残しながらも人生の先輩として今を生きている、という感じを受けました。私は今年の4月から北九州市小倉北区にある東筑紫短期大学の常勤講師を勤めていますが、授業終了が12月24日で、26日~1月6日の間が冬休みになります。21回生の忘年会は今年もあるのでしょうか?あればぜひ参加したいと思っています。  

ヘルマンハープ演奏会

 投稿者:高田  投稿日:2014年11月 2日(日)23時56分46秒
  11月1日(土)NHK福岡2階ホールで開催されていた「おしばな展」で午後2時から30分間ヘルマンハープの演奏がありました。5組の池田さんが3人の仲間とクラシック・童謡・民謡などを演奏、皆でコーラスもしました。おしばな展は女性ばかりで小生はちょっと場違いな雰囲気を感じながら。
ヘルマンハープ(Hermann Harp)は日本へ10年前にはいり、福岡は5年になるそうです。写真左の二人のインストラクターで普及活動をしています。右の二人は上級者だそうです。楽器は初心者でも本格的な演奏ができ、楽譜も演奏に順に音符が書かれています。今回の演奏会も普及を兼ねてボランティアでしていますとのことで、要請があれば出演を検討するそうです。
始めてみたいと思われる方は教室へお入りください。(楽器は15万円くらいから)60歳から始める中高齢者にはお勧めの楽器であり教室です。
最後に「花は咲く」を演奏に合わせ皆でコーラス。心に響く演奏が終わり、楽器の説明などを聞いていると同級生二人を紹介されました。演奏中に前に座っていた人で面識がなかったので気づきませんでした。
そういえば歌も歌っていました。後ろで下手な歌を歌わんで良かったと思います。2組の恒松(原)さんと5組の柴田(大坪)さんでした。二人は高校時代「ブラスバンド部」だったそうで、池田さんとは同じ大学ということで、関係のない小生と一緒になりました。いつの日か楽器で縁ができるように頑張ってみたいとは思います。
 

秋の薫風舎展示会

 投稿者:高田  投稿日:2014年10月26日(日)20時38分30秒
  阿部君の薫風舎の展示会が10月に2度開催されました。
中旬に阿蘇高森では増田君が偶然訪れたそうです。増田君は夫婦で最近高森を拠点に写真活動をしています。奥さんは高森で撮影した写真が賞をもらったそうで我がことのように喜んでおります。高森で阿部君を撮影した写真をもらいましたので紹介します。
また、若宮でも展示会が開催されましたが、ここは高田が遊びに行きました。
シンプルで地着いた雰囲気の倉庫での展示、隣の喫茶での出張フランス料理のランチには行けませんでしたが、金曜日に行きピアノの演奏を聞かせてもらいました。
新作は鏡台、テーブルなどでした。
 

レンタル掲示板
/15